はじめましてMihoです。
保護者のリレーブログ。第1回目を担当させていただきます。
本当に苦しい子育てでした。
赤ちゃんは眠ると聞いていたのに、息子は生後まもなくから眼をギョロギョロさせて昼間は眠らず、朝まで激しい夜泣き。
お喋りは早かったけれど常に一方通行。
階段を登っている途中、突然頭から落ちてくる。
本人は「重力を感じたかった」なんて笑っているけれど、あと数センチで地面に落ちる頭を、片手でキャッチして助かったこともありました。
偏食でほとんど食べないのに動き回るので、時々高熱を出しては倒れました。
でも病院が大嫌いでパニックを起こし診察ができず、点滴を打つために、ネットでグルグル巻きにされたこともありました。
捕獲された猪みたいに診察台にネットで巻かれ、ぐったり横たわる息子を見て、私は生きた心地がせず、胸が苦しくなりました。
子供がかわいいと思えず、常に寝不足でフラフラで、何か事故でも起きるのではないかと、ただ怖かったです。
入学してまもなく、小学校の校長先生から「こういう子供が犯罪者になる」と言われたとき、2歳と0歳の妹弟がいました。
息子は7歳。それまでの人生のほとんどを否定され続け、毎日パニックを起こしては学校を脱走していました。
「お母さん、お子さんをもっと見てください」「お母さん、お子さんを何とかしてください」毎日そんなことを言われ続けて、いつの日か「息子を監視しなくちゃいけない、変えなくちゃいけない」と必死になっていました。
周囲に相談相手もなく、母親としての資質の低さに絶望し疲れ果て、息子に「一緒に死のう」と言いました。その時、息子に言われたのです。
「死にたいならお母さん一人で死んで。僕は生きて、将来役に立つ人になる」。
彼は変わらなくていい。もう誰ともくらべない。20歳で自分の夢を選べる人になって欲しい。 変わるのは私自身。そしていつか社会を変えて見せる。
そう決めた瞬間をいまも忘れません。
カッコ良く言い過ぎですが、社会を変える力など私にはありません。
最初にしたのはお化粧です。私は私。
堂々と、学校の先生と仲良くなろう。ママ友と正面から向きあい、助けてもらおう、と決めました。
人の目を見て話せるようになるまで、それから何年もかかりました。
そして、たくさんの方に助けられて、今の私があります。
当時の孤独な私にかけてあげたい言葉がたくさんあるから、私は自分の悩みも経験もお話ししたいと思っています。
20歳になった息子は単身オランダに進学しました。機会を頂ければ、障害があっても学びを続けることや、異国での一人暮らしについても書きたいと思います。
ROCKETには様々なタイプの子どもと保護者がいて、それぞれのストーリーがあります。
ラグランジュポイント(Lagrangian point/略称L点)は、天体と天体の重力で釣り合いが取れる「宇宙の中で安定するポイント」で、スペースコロニーを建設する軌道の候補でもあるそうです。
悩みながらの子育てだけど、適度な距離感を保ち、それぞれの幸せが調和する居場所でありたい。
そんな想いを伝える「L点Story」ブログ。
私と同じように一人で悩んでいる方に、エールが届いたらいいなぁ、と思います。
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