【泥船から戦艦へ】親が笑って日常を過ごすことが一番よいことだと気がついた。十人十色の子育てストーリー。

初めまして 先田孝江と申します。
保護者リレーブログに参加しました。 拙い文章ですがお付き合いください。

私の仕事は整体師です。

身体は十人十色で同じ症状でも 原因は様々です。

ですので子どもも一緒だと思い、周りの子どもとはひと味もふた味も違う言動をする息子でしたがこの子はこんな子どもなんだと 思って育てていました。

保育園に行きだしてすぐ 子どもが保育園辞めるといいだしました。 理由を聞くと みんなと合わないからしんどいと。


小さい時からずっと私の父と一緒に行動していた息子にとって、同世代の子どもはしんどいのかも。
父も自分とばかりだから馴染めんのかのーと 言っていました。

しかし、理由はそこではありませんでした。

小学校に入るとすぐ、宿題をやらないといけないけど何故か出来ずに暴れる事が多くなりました。
ついに先生が学校で宿題をやって帰れ、と言いましたが、その瞬間爆発。

学校だけでも自分の時間を奪われてるのに 宿題までやって帰ったら僕の時間が ないじゃないか!先生なんて大っ嫌いだ!

これ以降学校に行けなくなりました。

子育てを全否定された気分に

学校に行けなくなると担任の先生から

お母さんが甘やかしすぎです、もっと厳しくしてください。
学校でみんなと遊びながら成長していくのを お母さんがさせないんですよね 。
好きな事をさせるなら、 学校に行った後させるようにしてください!

私の子育てを全否定されたと思いました。

ならば先生の言うようにやってみようと 子どもが今まで好きでやってた事を辞めさせてしまい、学校に行かせる事に必死になりました。

その時、息子に言われた言葉。

「僕がいるから。 僕が悪いけー お母ちゃんが困るんだ。 お母ちゃんごめんなさい。」

なんて事を子どもに言わせたんだ! この子のどこに悪い所があったんだ!

本当に悔やみ、その日は家族の前で 大泣きしました。


その後息子に発達障害があり 二次障害が出ていると言われました。

そこからは学校の対応も変わりましたが 納得出来る支援には中々たどり着けません。

自分もどうしたらいいかともがいていた時。

「親が子どもを守ろうと頑張っても 親が泥舟だったら子どもは一緒に沈むよ」

ハッとしました。

それまでも子どもの為子どもの為、と 言ってるけど自分が幸せでないと 子どもを幸せになんか出来ないと言われていました。

子どもが困ってるのに 私が何で幸せを考えれるのよ!と 思ってそのアドバイスに反発していましたが 私が日常生活を笑って過ごすのが子どもにとっては一番いいのかもしれない。

自分が最初に思っていたように 十人十色なのだからこの子にとっての子育てでいいんだ、と腑に落ちました。

それからは子どもが一番気持ちが落ち着く事を優先したのと同時に、息子は私の父をものすごく好きで尊敬もしており、おじいちゃんのような人になると思っていたので 私の父に世の中の生き方を教えて欲しいと頼みました。


5年生から特別支援学級に変わったのですがそこで大きな出逢いがありました。

担任の先生が写真を撮るのが好きで教育に写真部を作ってくださった事で息子の人生が変わりました。

今まで同級生の輪に中々入れなかったのが、カメラを持つと輪の中に入るようになり、また初めての人、場所が苦手だったのに初めての人とも平気で話が出来るようになりました。
一人で知らない場所に行けるようにも なりました。


人は出逢いで変われますね。 ROCKETもその一つでした。

中邑先生がおじいちゃんと一緒に 猟に行く息子に興味をもってくださり、 ROCKETの中でも写真を撮る仕事をもらったりと、前に出る事はないのですが裏方の仕事を楽しんでました。

ROCKETの集合写真に息子は写っていません。
自分は裏方が好きだから写らなくていいんだ。

親としては少し寂しかったですが…。

広島県はROCKETと一緒に行う (今は東大LEARNin広島) 教育プログラムがあります。

コロナ禍で最近は参加出来なくなりましたが ボランティアで写真を撮らせていただいたり、 通信制高校の時に「みんなの学校」の映画で有名になった大阪の大空小学校と縁があり 毎月、大空小学校にボランティアで行き 卒業アルバムに載せる写真のお手伝いを したりと、自分で自分の居場所を作っていきました。

また、大空小学校の初代校長の木村泰子さんとも 縁をいただき、学校についてのシンポジウムなど にも積極的に参加しています。

高校自体は校長先生と折りあいが悪く結局中退。現在は農協でアルバイトをしています。

高齢者が進む私の町では頼れる若手です。

狩猟もわな免許を18歳で取得し 駆除の仕事もしています。

不登校しんどいのは 小学校から中1まででした。

それも周りの理解不足での トラブルが多かったように思います。


泥船から戦艦になると決めると・・・

自分が泥舟ではなく戦艦になると決めると、色々な出逢いがありたくさんの方に支えていただいたり、助けていただきました。

また、逆視道という学問に出会ったのも 私にとっては大きな励みでした。
悩みではなく、問題と捉えそれを解決する方法を学ぶことで とても楽になりました。

息子も逆視道を学ぶ事で 自分との向き合い方を知り、 更に自分に自信を持つようになりました。

学校の勉強より 生きるための勉強の方が 私達親子には必要だったと つくづく思います。

息子は今発達障害の子どもを 放課後児童デーで行う サッカー療育のアシスタントもしています。

http://jdsfa.jp/skc/

自分が発達障害だからこそ 児童の気持ちにも寄り添える とも言ってました。

学校へ行く行かないではなく この世をどう生きるか。

勉強は必要と思いますが 勉強する環境にもっと選択肢を 増やすだけで変わる事が あるのではと思います。

最後に私が苦しい時に 励みにしていた言葉を紹介します。

「世の人はわれをなんともいはばいえ わがなすことはわれのみぞしる」 by坂本龍馬

「今日褒めて 明日悪く言う人の口 泣くも笑うも嘘の世の中」 by一休禅師

息子曰く 母さんは僕が何歳になっても 母さんだからね。

これからも子育ては続きますが 今ではワクワクの方がたくさんあります。

参考までに 逆視道協会HPを紹介します。 https://gyakushido.com/

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