【自分らしく生きる】ことを教えてくれた、大変過ぎる子育てと今ここの幸せ

こんにちは、小林由起です。

小さい頃から神社仏閣巡りが趣味という、個性的な感性の持ち主の長男。
そんな長男と私のストーリーです。

育児本とは違う?「スーパーモデル」の子育て

とにかくエネルギーが強すぎる長男は、毎日ジェットコースターのように感情が荒ぶっては収まり、満ち満ちては一気に引く波のような激しい不安定さがありました。

『お母さん、今すぐ学校に来られますか?お子さんが暴れています。』

『学校を飛び出してしまいました。山の方へ向かった様なのですぐ来てください。』

などという電話がほぼ毎日のようにかかって来たため、いつでも対応できるように待機する日々。

赤ちゃんの頃、微笑み始めた長男に笑い返すと、とてつもなく驚いた表情をし笑うことを止めてしまったことも後から思えば特性を象徴するエピソードだと感じます。

ひどい皮膚疾患、食物アレルギーに喘息。

俗に言うアレルギーマーチを進み、熱性けいれんでは2度救急車で運ばれました。

幼稚園では1人で過ごすことも多く、学校に進学するも友達とトラブルを起こし続け先生の手を焼いていました。

育児本には『成長は様々。ゆったり構えましょう』とある。

ただ、いくら工夫したとて癇癪は止まず学校生活も上手くいかない。

あまりに激しかったため、当時暮らしていた川崎市で発達に特性のある子どもの研究対象として市で1人しか選ばれないという『スーパーモデル』に選出されたこともありました。

あまりの奇特さに保護者からも冷めた目で見られることも少なくありませんでしたが、励まし続けてくださる方々に囲まれていたのはやはりありがたいことでした。

私自身、子どもの頃からの自律神経の持病があったため、動けず外に出られない日も多かった当時、10年間ともに過ごしたパートナーとも将来像が描けなくなり別離を決め始めていました。

もともと希望を持って生きることをしていなかった私は、子どもの頃からのテーマである『何のために生きているのか?』という課題を昇華しないと、このエネルギーの強すぎる子ども達の人生を背負い生きていくには脆弱過ぎることに気付きました。

再度この『何のために生きているか』ということを突きつけられ過去のトラウマの波を何度となく越え続けなければならない作業はとてつもない痛みを伴いました。

進んでは戻り光を見ては落ちるという、それは身体症状にも現れ苦痛を及ぼしましたが、それを繰り返すうちにグレーにしか見えていなかった空が初めて青という色を帯びはじめた頃、出した答えは『どの道苦しいなら自分らしく生きていく』ということでした。

自分らしく生きる、ということ。

与えられた命をどのように使っていくかを追求することそのものが、私なりの真の子育てではないかと考えてのことでした。

そんな覚悟を決め、色々ありながら新しい生活を始めたものの、環境の変化に弱い長男に起こる学校への拒否反応は凄まじく、冒頭のように全身全霊で外内構わず暴れ、エネルギーを放出させていました。

学校もお手上げ状態でした。

『この状況は厳しい。クラスの保護者全員に謝罪された方が良いです』と当時の担任に言われ、先生から疲弊した言葉を逐一浴びていた私は責任を取らねばと、言われるがまま1人ひとりにお詫びの電話をかけたこともありました。

その際、保護者の方が励ましの言葉をかけてくださったことは救いでした。
今なら助けを求めている所ですがその考えにも及ばず、当時は1人抱え込んでいました。

全身全霊で何かを伝えようとする長男。

一向に穏やかにならない彼を見ていると、これまでして来たあの手この手は通用しない。

だとしたら一体何が必要なんだろう?

暴れる彼と日々取っ組み合いながら自問自答していました。

いつもの様に長男が暴れていた夜。
心身ともに限界だった私は全てを終わりにしてしまいたい、と長男を車に乗せ海へ向かいました。
冷静ではない状態で海岸線を走っていたところ、ちょうど私たちの目の前に大きな花火が上がりました。

その日は江ノ島の花火大会だったようで、そのあまりに出来すぎたシュチュエーションは我に返らざるを得ず、海沿いの駐車場に車を停めしばらく2人で花火を見つめていました。

なんか疲れたね。

うん。

という会話をし、また明日から始めよう…と、ひと粒ほどの力で頭を垂れながら帰宅したこともありました。

やりたい学びを優先させる

『彼の知的欲求を満たすのが良いんじゃない?』

当時、市の教育センターの相談員の先生にいただいたアドバイスに眼から鱗が落ちる思いでした。

やりたい学びを優先させる。その様に生きて良いんだ。

その先生は学校にも無理して行かなくて良いという。

私はその言葉を聞き、自分自身の迷いがなくなったのを感じました。

もちろんそれまで出会った沢山の方のお力添えあってのこと。

そうして私が長男の幸せに寄り添う覚悟を決めたその時から、色々なことが開いて行った様に思います。

長男のペースで過ごし始めてからは揉めることも減り、学びが好きだった長男はその先生から東大が行う異才発掘プロジェクトROCKETへの応募を勧められ、ともに説明会に行くことに。

その時に中邑先生がお話しくださった、出過ぎた杭は更に出して良いという、ROCKETが目指す世界感に共鳴した長男の目の輝きは今でも忘れることができません。

そして、幼少期からエネルギー問題や神社仏閣巡り、多様な実験やアートなど、興味が散らかっている長男を面白がってくださりROCKET2期生として採択していただき、初めてとも言える友達もできました。

子どもの存在自体を認め学びの環境を提供してくれる、そんなシンプルで深いプロジェクト。

我が道を決め突き進んでいる子もいれば長男の様に迷いながら進む子、背景は違えど集団に馴染めずこれまで苦しんで来た子ばかりが集まっていました。

居場所を探し続け、辿り着いたと思ったら拒否されていた我が家にとっては充分過ぎるほどの居場所でした。

ROCKETに参加させていただいて間もなく、中邑先生が長男の所属する学校に訪れてくださいました。

校長室で『日本を元気にしたいんです。本気なんです。』と語っていた中邑先生。

そんな大人の本気を目の当たりにした長男は安心して独自の学びを深め、持ち前の特性と対峙しながら彼のペースでROCKETに参加し、色々ありながらも精神的にも穏やかになっていきました。

フリースクール立ち上げへ・・・

これまでの様々な出会いから学びをいただいた私は、我が家の経験がお役に立てたらとROCKETの志のエッセンスを取り入れ、現在地元鎌倉で仲間とフリースクールを立ち上げ活動しています。

活動を通し出会う方の中には希望を失い、将来を悲観している子や親御さんも少なくありません。

私自身、闇を這うように過ごしていた経験からも思うことは、もし自信を失ったとしても小さな成功体験を積み重ね、それがやがて自信となり社会へと混ざり合っていく、そのプロセス自体が素晴らしいものだと感じています。

生き方に正解、不正解もなく、自己実現のために幸せにどう生きるかを模索すること自体が豊かな人生を創り出すのではないかと。

そして、マイノリティはどうしても多数に飲み込まれてしまいがちですが、決して後ろめたく思わないで欲しいと思っています。

生きていることそのものが素晴らしいということ、そう思えない自分も動けない時も否定しないで大丈夫ということを子ども達には知って欲しいです。

長男がROCKETへ参加してから6年が経った今、彼が好きなことを優先することは変わりませんが穏やかに日々過ごし、あれほど飛び出していた学校という場で学ぶべくフォントデザイナーを目指しデザイン学校へ進学する予定です。

お坊さんでも研究者でもなく、唐突に告げられたフォントデザイナーという夢。
どこまでも私を飽きさせない長男です。

これからも何かあるかもしれないし、無いかもしれない。

命のバトンを安心して受け取ってもらえるよう、今という瞬間をともに楽しんでいきたいと思っています。


【ご案内】

●11月29日(月)〜12月12日(日)までMUJI comホテルメトロポリタン鎌倉にて多様な学びを考えるイベントを開催します! トークショーではSPACE代表 福本理恵さんとROCKET2期生の山下ひかるさん、長男 大真の対談と2人のピアノ連弾も!私も少しお話しします。 他にも鎌倉市岩岡教育長や、小学校のクラスで発酵商品を作り販売、収益で子ども達としゃぶしゃぶを食べたという魅力的な波多野芳宏先生のトークもあります。 ぜひお越しください! https://fukafuka-kamakura.com/2021/11/10242

●神奈川県教育委員会と協働で制作した、不登校を中心とした情報ポータルサイト『キミイロ』もぜひご活用くださいね。 https://kimiiro.education

●フリースクールLargoは親子でホッとできる居場所創りを目指しています。様々なワークショップやイベントも展開中! https://fukafuka-kamakura.com/largo

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