はじめまして。Yukoです。
保護者のリレーブログ。今回は私のストーリーを書きました。
家族以外とはコミュニケーションをとりたがらない
うちの子は幼少期から、他人と(家族以外)コミュニケーションを取りたがらず、1人遊びが好きな子でした。
私は「ちょっと他の子と違う」と心配し、仕事を辞めて幼稚園に通い、帰ってからも友達と関われるように環境を作っていましたが、本人に変化はありません。
小学生になり、話せる友達が数人できホッとしましたが、その後、小5の学級崩壊、中学進学の環境の変化、中2の学校統合による環境の変化で、学校への行き渋りを繰り返しました。
唯一話せていた限られた友達とも上手くいかなくなっていき、周りとの距離も開き、中2で孤立していきました。 本人は「登校したい。勉強したい。友達が欲しい。でも出来ない。」私も「なんとか登校出来ないか」という思いで、学校と試行錯誤しましたが上手くいきません。
その間、体調にも色々な症状が出始め、その心配も抱える中で先も見えず、まるで暗闇の中にいるようでした。
「私の子育てが悪かったのか」と自分を責めてもいました。
他とコミュニケーションを取れないため、「どうにかするには私しかいない。最悪私1人でもいいか。」と思いながらも、出口も見えず不安が募るばかりでした。
東大ROCKETプロジェクトとの出会い。「普通」とは何?
中3の時に、始まった東大rocketプロジェクトで、先生やスタッフの方々、全国の親たちと出会った事で、私の孤独感も減り、色々な見方が出来るようになりました。
以前から彼は様々な壁にあたった時、周りの当たり前を知った時、その都度、疑問を持つので納得するまで、何時間何日間でも私と話し合います。
その中で、彼の思考の仕方、感じ方が違うと気づかされました。
私が「普通」と思っていた事も、改めて考えさせられ「普通って何?」の根本から一緒に考えるようにになりました。
そこで私は、自分の経験や今まで得てきた知識は、限られた物でしかない、レールに乗った生き方しか知らないだけなのではと考えるようになったのです。
そうはわかっても、「それ以外」を知らないので不安は付きまといます。私の中での日々葛藤です。
彼が「今の自分に学校は必要ない。やりたい事が沢山ある。」と高校を辞める時。
「レールから外れて行く道はジャングルを切り開いていくようなものだよ、大丈夫?」と聞いてみました。
彼は「自分はレールにしがみつくために必死で努力するより、その方が全然いい!」と。
そこで私は「道を切り開く術はないけど後ろから見守ろう!」と決意出来た気がします。
でも踏み出した時、「自由」の感覚の裏に、「責任」がどっとのし掛かる感覚もあったのを覚えています。
そんな私の不安と裏腹に、本人はそれまでやってきた映像に四六時中、取り組むようになりました。
自分が作りたいものは次から次へと涌き出てくるようで、それを実現するために色々な方向から学び、試行錯誤を繰り返す日々。
何かを得た時に目を輝かせながら話します。
その時に、ふと感じた事があります。「次々に沸く疑問に対してとことん学ぶ。これが本当の学びなのでは」と。
学校の勉強も大好きだったのですが、学ぶという意味では同じ。
それ以上に、主体性がある。本当に学ぶことが楽しそうだったのです。
これがこの先何に繋がるかもわからない、何の役にもたたないかも知れない。
でも、生きる力に繋がればと思い見守っていました。
主体的な学びが仕事につながる。
今では、映像を仕事に繋げています。
自分の力で社会と徐々に繋がりを持ち始めた時、コミュニケーションの苦手だった彼の行動力、問題に対しての解決力に驚かされました。
数年経った今でも「自分に最適な方法とは。生き方とは。」を彼は考え続けています。
「こだわりが強く、柔軟には出来ない=ブレることなく追い続けることが出来る」と短所が長所に見えてきます。
周りから見ればとても不器用な生き方に見えますが、彼にはそれが最適なのだと思います。
その子にはその子の最適な方法があり、学び方も成長のしかたも順序さえ、その子に最適な方法がある。
幸せの感じ方もそれぞれ。。
本人が見つけた答えが、自分とは違っても周りから否定されても、ただただ応援し見守ること。
気づかされたことがたくさんあった子育てでした。
このストーリーは1つのストーリーでしかありませんが、何かを考えるきっかけになっていただけたら幸いです。
『自分だけのレールを作っていい。』そんな社会になることを願います。
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